四季折々の花々と景色を訪ねて! 元峰のブログ

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help リーダーに追加 RSS 皆さんは、日本にあの「キリスト」の「墓」があるの知っていました?!

<<   作成日時 : 2008/07/04 14:04   >>

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場所は、青森県三戸郡(旧・戸来村へらいむら)現・新郷村戸来(へらい)にあります。
 そこに、十来塚(渡来塚ではないか?)という塚がありますが、この塚がキリストとゴルゴダの丘でキリストの身代わりで磔の刑にされた、キリストの弟「イスキリ」の墓だと称される塚です。
 皆さんは、「竹内文書」って聞いたことがありますか?元は富山市にあり、現在は茨城県(旧磯原市)現・北茨城市に移転(遷宮)していますが、「皇祖皇太神宮」の竹内家に伝わる古文書で、武内宿弥(たけのうちのすくね)の孫にあたる「平群真鳥」(へぐりのまとり)が25代「武烈(ぶれつ)天皇」の命により、神代(じんだい)文字の文書を、漢字と仮名交じりの文章に書き換えたとされる文書です。私が、この文書のことを知ったのは、もう20数年前のことで「竹内文書の謎」と言う本を読んだのがきっかけでした。
 この内容は、「ばかばかしい!」と思うか、「すごーい!」と興味を持つかのどちらかだと思いますが、「天浮之船」(あめのうきふね)つまり空を飛ぶ飛行物体・ヒヒイロカネ(幻の、もともと地球上に存在しない金属)・日来神宮(ヒラミッドーピラミッド)その他諸々の事が書かれているそうです。ネット検索していただくと、即お分かり頂ける事かと思います。
 この文書の中に、「キリストは日本で亡くなった」と書かれているらしく、昭和10年竹内巨磨が突然この村を訪れて大騒ぎになったとか・・・・!
 是非一度、皆様もロマンを求めて、訪ねて見られてはいかがでしょうか。

            茨城県北茨城市にある「皇祖皇太神宮」の鳥居
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茨城県北茨城市にある「皇祖皇太神宮」の本殿
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             皇祖皇太神宮のいわれについて書かれています。しかし驚くべき内容が・・・
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手前が弟「イスキリ」の墓、先が「キリスト」の墓とされる「十来塚」
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             キリストの墓についての説明文
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キリストの「遺言」について
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             地元の沢口家につたわる、ユダヤのマークに酷似した家の紋章
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この地方には、古くからヘブライ語の盆踊り歌があるとのこと。「ナニャドラエー、ナニャドナサレノ・・・」その意味は、「聖前に主を讃えよ。聖前に主は逆賊を掃討したまえり、聖前に主を讃えよ。」と言う意味らしい。
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以下は、インターネットから引用させて頂きました。
 キリストの墓

青森県三戸郡新郷村戸来(へらい)。ここに「キリストの墓」がある。

十和田湖の東に位置する新郷村に入ると、まず目に入るのが、「キリストの村へようこそ」という看板。村の中心部から少し離れた沢口地区、道路から坂道を登っていくと、雑木林に囲まれた小高い丘に2つの白い十字架が立っている。向かって右側、「十来塚(とうらいづか)」がキリストの墓、左の「十代墓(じゅうだいぼ)」がキリストの弟イスキリの墓であるという。

昭和10年、新郷村に茨城県磯原町(現・北茨城市)の皇祖皇太神宮の管長と名乗る人物が現れ、とんでもないことを口走った。村で一、二を争う旧家・沢口家の家で二つの土まんじゅうを見つけると、「これこそキリストの墓だ」と叫んだのである。

その男こそ、『竹内文書』という謎の古文書が伝わる竹内家の当主、竹内巨麿(たけうちきょまろ)だった。彼は、『竹内文書』に記された「キリストは日本で死んだ」という記述に基づき、キリストの墓を探し回っていたのである。

その古文書によれば、ユダヤに生まれたイエス=キリストは、21歳の時に日本に来て、12年間にわたって今の富山県で言葉や文字、神学を習い、さまざまな修行を重ねたという。聖書では21歳から12年間のイエスの記述はまったくないので、このあたりは符合する。33歳の時にユダヤの地に帰ったイエスは、聖書に記述されているように、数々の教えを人々に説き始める。しかし、彼の言動は、ユダヤ教パリサイ派の反感を買い、ローマに反逆を企てる者として磔の刑に処せられる。

ところが、古文書によれば、磔に処せられたのは実はイエスではなく、彼の弟イスキリだったのだ! イエス自身は、再び「神の国」をめざす。中央アジアからシベリア、さらにはアラスカを経由し、4年後、船で八戸に上陸、戸来村にやってくる。イエスは「十来(とうらい)太郎大天空」と名を改め、同村沢口の丘の上に居を定めた。そして、ミユ子という女性を娶り、三女をもうける。とくに布教に努めることはなかったが、自ら畑を耕し、作物を作っては貧しい人々に分けてやったという。白髪の禿頭、鼻の高い赤ら顔で長いマントを着て歩く彼の姿を見て、村人は「天狗様」として畏敬したという。

こうして彼は106歳の天寿を全うし、その遺体は風葬にされ、骨は4年後に住んでいた家の跡に埋められた。それが「十来塚」であり、そのとき、彼が携えていた弟イスキリの耳と母マリアの頭髪も葬られた。それが「十代塚」である。

これが「キリストの墓」の証拠だ!

1 沢口家の家紋
墓のある丘はもともと沢口家のもので、今も沢口さんが墓のすぐ近くに住んでいる。沢口家は、キリストの子孫といわれ、その家紋は、「ダビデの星」と同じである。

2 言葉
「戸来(へらい)」という地名は、「ヘブライ」に由来するという。
また、このあたりでは、父親のことを「アダ」「アヤ」「ダダ」、母親のことを「アバ」「アパ」などと呼ぶ。これはそれぞれ、「アダム」と「イブ」のなまったものであるという。さらに、男性の作業着をハラデ(腹当て)というが、これもヘブライ語の「ハラート」と共通するという。

3 十字架
生後10ヶ月の赤ちゃんが初めて外へ出るとき、額に墨で十字を書いて魔除けを願う。また、足がしびれたとき、人差し指につばをつけて額に十字を3回書くと直るという習慣がある。

4 ナニャドヤラ
なんといっても不思議なのは、村(というよりも青森県南と岩手県北)に伝わる盆踊り歌「ナニャドヤラ」である。その歌詞は、「ナニャードヤレー ナニャドナサレデア ナニャドヤラヨー」という意味不明のものだが、これをヘブライ語として訳すと、「聖前に主を讃えよ、聖前に主は逆賊を掃討したまえり 聖前に主を讃えよ」。つまり、「神のもとに、自分の軍は敵をやっつけたのだ。自分たちの大将を誉め称えよう」という意味になるのだという。

新郷村では、「キリストの墓」を観光スポットとして一生懸命アピールしている。「キリストの里伝承館」を建ててキリスト伝説を紹介したり、昭和39年から毎年5月にキリスト祭を開いている。

キリスト祭といっても、神父や牧師は来ない。十字架を見上げる広場で、神事に続いて獅子舞や神楽が奉納され、十字架の周りでは婦人会の人たちが「ナニャドヤラ」を踊る。伝承館にある村長の言葉には、「これは宗教団体のお祭りではなく、今まで存続してきた村民の心(偉い人を祀る心)である」といったことが記されているが、この言葉こそ、「キリストの墓」に関するすべてを表しているのではないだろうか。

それにしても、イエスが「受難」を免れたとすれば、当然そのあとの「復活」もなかったわけである。「復活」があったからこそ、弟子たちがイエスを「神の子」と信じて、彼の教えを広め、のちのキリスト教が成立することになるわけだから、素直にこの説を受け容れるわけにはいかない。にしても、何とスケールの大きなミステリーでしょう。

             通り道に、水芭蕉の群生地がありました
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さて次回は、十和田湖から奥入瀬渓流、八甲田山経由で三内丸山遺跡まで辿りましょう。





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